沿革
昭和20年 9月 |
終戦間もなく、青森連隊区司令官奥村半二氏、旧部下と共に戦災孤児救済のため旧五連隊将校官舎跡を利用し、孤児院設立準備に入る(現養護施設の母体)。 |
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昭和21年 2月 |
旧五連隊西官舎焼跡に(現老人ホーム敷地)仮収容所を急造し、東京石神井学園より浮浪児九名移し、収容開始する。 |
昭和21年 5月 |
奥村氏ら旧軍人ら米軍の指令で追放され閉鎖寸前の処、堀内欣造理事、友人関義雄、坂上栄一両氏らの協力を得、地元有力者小館貞一氏を会長に本事業を継承する。※12月園舎完成する。すでに申請中の財団法人青森慈恵会の認可が厚生大臣より下り、初代会長に小館氏就任する(5月2日)。 |
昭和21年11月 | 堀内欣造氏等の要請により、カトリック修道女会に事業委託される。 |
昭和23年 1月 | 児童福祉法施行され、養護施設の認可をうける。 |
昭和23年 4月 | レオナルド・ロースマン ニ代目会長に就任する。 |
昭和24年 5月 | 園舎移転し同時に県立養育院となる。但し経営は従前通り青森慈恵会 に委託される。定員60名に増員。養護施設旧園舎に診療所聖マリア医院を開院する。 |
昭和27年 5月 | 社会福祉事業法の施行に伴い、財団法人青森慈恵会を社会福祉法人藤聖母園に組織変更する。 |
昭和30年 9月 | 養護施設定員100名に増員する。 |
昭和30年10月 | 養護施設園舎355坪余を県より無償で払下げ受け、同時に県立養育院経営委託を解除、本法人が、その事業を継承する。 |
昭和32年 7月 | 養護施設定員110名に増員する。 |
昭和33年 9月 | 園長レオナルド・ロースマン転任し、理事渡辺セツ3代目園長となる。又、保育園兼幼稚園園長には、ルチア・シュミッツ理事就任する。 |
昭和37年 5月 | 渡辺セツ理事長に就任。 |
昭和38年 8月 | 理事パウラ・ワイルケ法人理事長に就任する。 |
昭和40年 3月 | 民間社会福祉施設老朽改築整備事業特例により補助金1,815万円、年金福祉事業団特別融資2,260円をうけ、総工費5,280万円をもって養護施設園舎を全面改築完成する。鉄筋コンクリート3階建延455坪。 |
昭和45年 8月 | 藤聖母園体育館建築する。工費2,000万円(内日本船舶振興会より補助金1,226万円交付) |
昭和47年12月 | パウラ・ワイケル理事長死亡し、渡辺セツ理事長に再就任する。 |
昭和57年 7月 | 新理事長梅村サタ子就任する(7月16日)。 |
平成 4年 7月 | 本田守男理事長が就任 |
平成 5年 1月 | 調理室食堂等改築工事完成 補助金 57,684,000円。 |
平成10年 6月 | 宗教法人殉教者聖ゲオルギオのフランシスコ修道会より保育園園地として1,196.56m2が寄贈される。 |
平成12年11月 | 体育館改修工事 中央競馬馬主社会福祉財団より1650万円の助成 |
平成13年 4月 | 児童養護施設の体育館改修工事完了。 |
平成13年 4月 | 児童養護施設藤聖母園の老朽化改築工事を着工。 |
平成14年 3月 | 児童養護施設藤聖母園の老朽化改築工事が完成竣工する。 |
平成14年 5月 | 児童養護施設藤聖母園の老朽化改築工事補助金(国260,676,000円・県130,338,000円) |
平成14年 6月 | 市助成金(64,383,062円)交付 |
平成14年 6月 | 児童養護施設園舎竣工落成施行する。(6月29日) |